ウル・パミール

Posted at 03/10/15 Comment(2)»

昨夜、ローカルのニュース番組を見てたら、「トルコのキルギスたち」なんてのを紹介してるのが目に止まった。
トルコ東部のヴァン県エルチシという町からそう遠くないところにあるウル・パミールは、数千人のキルギス人が暮らすキルギス人の村なんだそうだ。
へーそんなとこあるなんて知らんかった。

とゆわけで、さっそく検索してみたら、こんなサイト(トルコ語英語)があった。
それによると、彼らはキルギスとタジキスタン(いずれも旧ソ連)、アフガニスタン、中国にまたがったパミール山脈地域で遊牧をして暮らしてきたキルギス人。ここが戦略上の要衝だったおかげでイギリスとロシアの覇権争いやら中ソ国境紛争やら共産主義化やら、政治のごたごたになにかと巻き込まれてきた。
このパミール・キルギス族にハジ・ラフマンクル(大パミール生まれ・1913-1990)というハンが登場する。このハンのお父さんの代にパミール・キルギスたちは大パミールからアフガン領内の小パミールに移動したわけだが、その後を継いだハジ・ラフマンクルはいったんみんなを率いて東トルキスタンに移った。しかしそこに中国共産党支配が及ぶようになると再びアフガン領に戻る。そこでの生活は悪くなかったものの、1978年にアフガニスタンにも共産化の波が押し寄せると、彼らは今度はパキスタン領内に移り、ギルギットの難民キャンプで暮らすようになった。しかしそこは山岳地帯で生まれ育った生粋のキルギスたちがなじめるような土地ではなかった。とにかくその灼熱気候に死者が100人も出たほどだった。それで元のアフガン領内に戻る者もいたという。
やがて「トルコへの移住」という話が持ち上がり、受け入れられたパミール・キルギス人たちは1982年にハジ・ラフマンクル・ハンをはじめ293家族1138人がパキスタンから空路トルコに入った。彼らは最初数ヶ所に分かれて住まなければならなかったが、数年後に今の場所に故郷“大パミール”の名を冠した“ウル・パミール”村がつくられるに至り、現在は300家族2100人が暮らしている、ということのようだ。
(人口3500人という話もあり、20年でこの人口増加率はどうかっちゅう気もするけど)

そんなウル・パミール村では、今でもキルギス文化行事みたいな催しがあるらしい。
村の小学校ではキルギスから来た先生がキルギス語を教えたりもしているようで、子どもたちはトルコ語訛りのキルギス語を話すそうだ。
それでもやっぱり若者たちは学校やしごとのためにイスタンブルなどの都会に出ていってしまうんだ、と村のひとは話していた。
いや、それもこれもいたしかたないことではあるけれど。

そしてウル・パミールのキルギス人は「キルギスに行ってみたい」と言った。

"ウル・パミール"へのコメント

CommentData » Posted by Asya at 03/10/26

夫に聞いてみたけど知らないといっていました。
ヴァン湖のすぐそばなんですね。
ただ、丸が入っている場所がエルシシュという町で、そこのことはPKK(カデック)の活動が活発だった由縁で知っていると言っていました。

大パミールから小バミールへ移動したということは、一族から一部離れていったということなのでしょうか?
それにしてもたった90年足らずの間の大移動。今の場所が落ち着く場所であることを祈ります。

ところで、、、やっぱりゲストブックへはアクセスできませんでした。村八分気分です。泣。

CommentData » Posted by Fikrimce at 03/10/26

きのうカフェで1週間くらい前のローカル英字新聞読んでたら
"Kyrgyzstan has sent humanitarian help to ethnic Kyrgyz people living in Afganistan"
なんて記事がありました。う~ん、タイムリィ。(笑)
それによると、キルギス政府からパミールに住むキルギス民族への人道支援として、小麦粉や塩、燃料や医薬品なんかが送られたとのこと。支援対象は大・小パミールに暮らすキルギス人235家族。
パミールは1年のうち10ヶ月も外界から隔絶されてしまうらしいです。そりゃ物資補給も必要だわな。

とゆわけで、トルコへ移住したのは文中に登場するハンのもとにまとまってたグループで、まだパミールに残っているひとたちもいるってことみたいですね。

Asyaさん、ゲストブックのほうはどーしてかわかりません。(涙)
アクセスしたとき、なにかエラーメッセージとか出ますか??

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