100年前に土耳古の都で

Posted at 05/10/20 Comment(0)»

「村田エフェンディ滞土録」を読んだ。
今年の青少年読書感想文全国コンクール高等学校の部の課題図書、ちゅうことで図書館に並んでいたのが偶然目にとまって、高校生でもないのに借りてみたのだが。

うん、よかった。ひとことで言っちゃうと。
元来小説とゆーものを読むのが苦手な性質(たち)であるうえ、ここんとこ一気にガツっと読んじゃう余裕もなく、途中何度も放り出しそうになりつつも、なんとか完読できたのもよかった。物語の流れとともに後半からエンディングに向けてダッシュしたけど。つか、2ヶ月もかけて読むよーな本ぢゃないんだよな、、(自爆)
さて、物語を読んでいくと、イスタンブルで暮らしたことのあるひとならきっと、時代こそ違えど、そこに描かれてる光景やら人の姿がまざまざと目に浮かぶだろうし、その空気だって共感できるかもしれない。あの町でドキドキしたこと、日本人同士でアレコレつもる話をしたときのことなんかも甘酸っぱく思い出されるんぢゃないだろうか。そしてこの、100年前の君府も歩いてみたかった、と。
研究者として彼の地に留学中の主人公がトルコ人について、 「計算高いところもあるが、概して純情である」
「珈琲一杯をすすりつつ、店の前に陣取り、何をするでもなくまる一日を過ごす。これほど「無為」ということに耐えられる心性は、その常軌を逸した太平楽は私の理解の範疇を遥かに越えていた」
などと言う場面があるんだが、これには「今も昔も何も変わっとらんのか!」と失笑。いや、これは筆者が今現在のイスタンブルをよくよく取材した結果そういう表現に行き着いたものなのか、それともやはりいつになっても…ということなのか。トルコ人も、日本人も。
もひとつ、トルコのチャイについてだが、 「番茶を親の敵とばかりに煮出したような」 っちゅうのにはワロタ。デムリすぎっ!てか。
ちなみに、この物語の中には、あの山田寅次郎と目される、「貿易商の山田氏」なる人物も登場する。NHK地上波で彼についての番組が再放送されたときは、うっかり八兵衛、ほんの最後の3分ばかり、獅童くんがチャイのグラスお買い物してるとこしか見れんかったのでざんねんだったのだが。
それにしてもあのチャナッカレの戦いってのはすさまじかったんだな、、と正直初めて思うに至った。ずっと前、トルコ人のともだちが「トルコの国旗はあの戦いで流されたトルコ人の血が池のようになったところに夜の月が映ったデザインなんだって」と言ってたことを今になって思い出してみたり。
日本での仕事やつまらん人間関係にひとりもがく主人公に知らされる友たちの真実、そして再会。コレ読んだ高校生諸君はどんな感想をもつだろか。。
と、人妻の部の感想文はこれにて終了。

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