Murat Nasyrov (Мурат Насыров)
2001.02.05 PermaLink» Comment(5)» Trackback(0)»
ついに日本のみなさまにも彼を紹介させていただく運びとなりましたッ。
Murat Nasyrov(ムラト・ナスィロフ)はカザフスタン出身、民族的にはウイグル人なんですが、曲はロシア語、とゆわけでCIS(旧ソ連)圏での大ヒットもあり、広く知られてるアーティストであります。
とーぜんここキルギスでも知名度高く、ラジオで、カフェやレストランの生バンドで、とあちこちで耳にすることも多いんですが、あたしがはじめて彼を知ったのは忘れもしない1999年夏のアゼルバイジャン、TVから流れてきた"Ya Eto Ty"のビデオクリップを見たときのこと。折りしも日本はロンゲ黎明期、そーゆー男子キライぢゃありませんが?あいや、むしろ好物(ぉぃ)といぅあたしはこの甘あまラブソングの雄ムラト・ナスィロフにピクッと反応してしまい、即、"Кто-то Простит"(Kto-to Prostit)と"Моя История"(Moya Istoriya)のアルバム(CDぢゃありませんカセットテープ)を購入しちゃったのでした。
かくして期待ははずれることなく、この2本はその旅の良き友となり思い出となり、そしてあたしはそれ以来すっかりムラト・ナスィロフびいきなのでございます。
さて、この彼を一躍有名にしたのがファースト・アルバムの"Мальчик хочет в Тамбов"(Malchik Hochet v Tambov)という曲。
これはどこかの女性シンガーも歌ってヒットした曲のリメイクだったとかで(記事最後に追加情報アリ)、いじわるなひとたちは「ムラトはこの曲一発で終わる」なんて踏んでたらしぃんですがね、 ところがどっこい、このアルバムからはヒットが続出、セカンド・アルバムからもラブソングの王道を行く名曲"Я это Ты"(Ya Eto Ty)、アリョーナ・アピナ(Алёна Апина)とのデュエット曲"Лунные Ночи"(Lunnye Nochi)などがアタり、彼はロシア・ポップス界で確固たる認知と地位を築くに至ったとゆーわけです。
RA Мальчик хочет в Тамбов (Malchik Hochet v Tambov)
RA Я это Ты (Ya Eto Ty)
RA Моя История (Moya Istoriya)
RA Кто-то Простит (Kto-to Prostit)
RA Атуш (Atush)
1曲だけ収録されてるウイグル語の歌。あたしは他の曲すっとばしてコレだけ聴いたりもしてます。(笑
CLIP Лунные Ночи (Lunnye Nochi)
じつを言うとアタクシ、「見た」と豪語した"Ya Eto Ty"ではムラト・ナスィロフの顔ちゃんと確認できてませんで・・・。(かつ、すべてが最高度のウロ覚え状態)しかしこのビデオクリップでよーやく動くムラトを見ることがかないました。(笑
で、このデュエットが成功するやアリョーナ・アピナとの不倫ゴシップも流れたりしたよぅですが、これはまったく根も葉もないこと、と家族を愛するムラト。(なんとすでに4歳くらいの娘がいて、2人目も生まれそうなんだとか)
彼の奥さんというのが名前から察するところ、ロシア人かなんかスラヴ系のひと?のようで、結婚して初めてアルマトィ(カザフスタン)の実家に里帰りというとき、ムラトは彼女が家族に受け入れてもらえるかどうかすごく心配したんだそぅ。というのも、彼の父さんは厳格なイスラームの「師」(ムッラー)。きっとふたりの結婚も賛成はされてなかったんでしょね。でもいざお祝いの席がもうけられると、白いあごひげの長老たちがみんなでムラト夫妻のためにドゥアーして(幸福を祈って)くれたというから、めでたしめでたし。
なんてエピソードも紹介してみたり。
最近出た3枚目のアルバム"Всё Это Было Не Со Мной"(Vse Eto Bilo Ne So Mnoi)、あたしはコレもついっぃ買うてしまいました。テヘ。
今回は髪を短めにしたムラト、もちろん得意のミディアム、スローテンポのラブソングもありつつ、全曲作詞作曲やっちょります。
【後日追加情報】 提供:大井純さん
「この曲(*Malchik Hochet v Tambov)のオリジナルはブラジルの7人組グループCarrapichoの1996年のヒット曲"Tic Tic Tac"です。翌1997年にフランスのプロデューサーがこの曲に目をつけ、地元の黒人女性3人組コーラスグループ(スタジオミュージシャンかもしれない)のChilliのコーラスをリミックスしてヨーロッパで大ヒットさせました」
※試聴ファイルを整理、ビデオクリップのリンクを追加して更新。(2006.9.20)

COMMENT
初めまして。日本在住のウイグル人です。偶然ですが、ムラトさんのなくなったことをネットで見て、初めてこの偉大なシンガを知るにも関わらず、涙をしたこと思い出します。もちろん彼の歌も知らなかったわけですが、このブログで聞けて、とってもうれしい。感謝しています。
彼のCDを探したいと思います。
投稿者: Roxien | 2007年08月09日 17:50
Assalaamu Aleykum, Yakhshimisiz.
あ、あ、ありがとうございますっ!あたしもふたたび思い出して涙出そうです。。
Roxienさんはウイグル(新疆)からいらしたウイグル人ですか?
ムラト・ナスィロフのウイグル語アルバム"Kaldim Yalguz"についても書いてます。もしまだ見てらっしゃらなければ、そちらもぜひどうぞ♪
→ http://fikrimce.sharqi.net/mz/2007/04/10149.html
投稿者: /mz | 2007年08月09日 21:16
Alaykum essalam yahshimusiz.
早速ご返事、ありがとうございます。
そうです、東トルキスタン(新疆)からの留学生でしたが、日本で暮らすことを選びました、いつか故郷で日本のように自由に暮らせることを夢見て。色々とありがとうございます。ロシア語は知らないけれど、メロディは大好きです。ムラットさんの「Atush」という歌は子供のごろから親がよく口ずさんでいたことを思い出します。
Rehmet sizge
投稿者: roxian | 2007年08月13日 12:37
ウイグルスタンはウイグル人の暮らしにくい土地になってしまってるんですね・・・ このことを聞くたびにいつも悲しく腹立たしい気持ちになります。早くRoxianさんたちが楽しく暮らせる東トルキスタンになりますよう、祈ります。
"Atush"はあたしも大好きな曲で、他の中央アジアの歌手もやっているので、またあらためて記事を書こうと思ってます。そのときはウイグル語歌詞の内容など教えていただけたらうれしいです。
これからもよろしくおねがいします♪
投稿者: /mz | 2007年08月13日 18:23
ご返事ありがとうございます。ウイグルの情勢について、少しずつではありますが、確実に国際社会の関心が高まってきていることは間違いないと思います。皆様のような正義の立場でウイグルの現状を見て理解していただける日本の方々が増えていくことを切実に願っておりますし、そのために自分の出来ることはさせていただきます。こちらこそ、これからもよろしく御願いいたします。
Rhmet sizge Yene korisheyli.
投稿者: Roxien | 2007年08月15日 16:13